2009年1月23日金曜日

Inauguration

1月20日、Barack Obamaが第44代アメリカ合衆国大統領に正式に就任。
(21日との噂もありますが・・笑)

U.C.Berkeleyではキャンパスの中央広場に巨大スクリーンが設置され、D.C.時間の11時、つまり朝8時から寒い中眠い中多くの生徒が集まり、Live映像でこの歴史的瞬間を楽しみました。


アメリカに来てから選挙戦の興奮を肌で感じ、初のアフリカ系アメリカ人大統領候補への期待と憂慮(尤もここはリベラルの聖地なのでObamaを憂慮する保守派は皆無に近く、むしろMccain支持者の肩身の狭さにびっくりしましたが。笑)の渦巻くアメリカを体験してきたわけですが、こうして正式に就任式を迎えて感慨無量といったところです。

彼の社会観や政治観は一言で言うならば美しいです。聖者のようです。

世界が急速にグローバル化し、生物学的にはもちろん、文化や信条、社会制度、そして地理的条件には明確な隔たりの存在する中、経済だけは同じスタンダードを受け入れて大きなひとつの土俵で勝負することが求められる昨今、各国が利害対立に苦しんだり、必然的に敗者となる人々が出てくることは避けようがなく、そのような中で政治家は「自国の利益」を守る立場にある以上、仏とはなりえない。ましてやこの国は「アメリカの覇権」なんてプライドと責任感もつきまとうのだからたまったものじゃないでしょう。

Berkeleyの生徒がさんざん野次を飛ばしたりブーイングしたり顔が映し出される度に爆笑したりするGeorge.W.Bush前大統領にだって、苦悩はあったはず。取り返しのつかない過ちを犯したとはいえ、少なくとも民主制が機能する中で国民自らが選んだ大統領であったにもかかわらず、その去り際までブーイングで侮辱するという行為には品格の欠落を感じるし、反対にObamaには宗教団体かのような入れ込みようでどうも違和感を感じてしまう。

Obamaは確かに人の心を動かす力があるし、信念が通っている。他人の痛みを一緒に感じることのできる繊細さと強さを持っていると思う。そして何より、"大人"にしてはめずらしい純粋さを持っている人だと思う。目の前に希望があったらまっすぐにそれを見つめ、斜に構えず、厭世的にならず、「正直者が馬鹿を見る」ことを恐れない。まるで小さな子供が「僕、将来野球の選手になる!」というのと同じピュアさを持って、その目標にたどり着くまでの試練や困難をひとつずつ冷静に分析していく。

普通の疲れた大人なら、終わりの見えない障害の数々に眩暈がして、「ま、人生こんなもんだ。」となるでしょう。まだ大人とは到底言えない私ですらもうそんな感じだ。でもObamaという人は、冷静に狡猾に状況を分析したあと、最終的に「性善説」に立つことで希望を抱き続けられる稀有な人物だ。と私は思うのです。

が、彼は全能の神でもメシアでも魔法使いでもない。

選挙戦から続くアメリカの様子を一言で言うならば、「狂喜」です。まずObamaの当選が決まったときの人々の様子はまるでWorld Cupで優勝したときのようだったし、「何かが始まる」というそれではなく、「何かを達成した」ときのような喜び方でした。

確かに、この国でアフリカ系アメリカ人が大統領となることは「達成した」というに相応しい、不可能に近いことだったのだとは思うけれども、日本人として、黒人も白人もアジア系もラテン系も、アメリカに住み英語を話す人々を「アメリカ人」と捉えてきた私にとっては、Obamaの当選はやっとスタートラインに立ったにすぎず、これからくる彼への試練や世論の変化などを逆に憂慮してしまってなんともあの場の空気になじめなかったことを思い出します。

彼の政策提案は国内に対しても、国際的にも、社会的弱者に優しく、かといって逆差別や競争力低下を引き起こすような過剰な保護ではなく、とても公平で慈愛に満ちている。このバランス感覚と性善説はさすが法律家ならではだなぁと思うけれども、これらは社会の根本的な歪みを補正していこうとするものであって、ましてこの金融危機の中で短期的に成果が出たり一気に世界が平和になったり、そんな類のものではないと思う。彼は「スタート」を担う人であって、人々が彼に「ゴール」にたどり着くことを求めるのには違和感を覚える。

彼のもたらす「変革」は、きっと国民に対して変革を起こすチャンスを提供するという意味での「変革」だから、そしてそれは完全に性善説に則っているのだから、国民が「Obamaに期待する」のではなく、「自分の将来に希望を持って誠実に努力する」ことができたときに初めて実を結ぶものなのだろうなぁと思うのです。

でも、私はObama政権を間違いなく楽観視しています。

なぜなら彼は理屈を抜きに人を惹きつける力があるし、あんなに真っ直ぐで素直なリーダーがいたら、人々も性悪説には立ちたくないでしょう。と思うから。彼は神がかっているどころか、逆に誰よりも人間味に溢れているのが伝わるから。

私が彼の考えの中で一番好きなのは、アメリカという国の世界での位置づけです。

「覇権」にとらわれて優位性を誇示したり、世界の警察のような驕りを持ったりするのではなく、逆にそれなら他国は勝手にやれよと孤立主義に走るでもなく、今現在、アメリカという国の干渉がなかったら世界が機能しないという事実を受け止めて、多少非難されようが、ほっといてくれという尤もらしい意見が台頭しようが自らがリーダーとして果たすべき役割に責任を持つ。これはなかなか難しいことだと思います。それぞれが自分に責任をもって自分の面倒を見られたら世の中こんな楽なことはないのです。でもそううまくはいかないから、持ちつ持たれつ、たまには持ちつ持ちつや持たれつ持たれつになってみたりしながら頑張るのでしょう。そして、リーダーとして大事なのは、規律を与えることではなく、自らが規範となることだと言うこと。当たり前のリーダー論のようで、実際難しい。だってそのためには短期的にはいっぱい馬鹿を見なくちゃいけないだろうから。

でも彼のようなリーダーがその規範を見せてくれれば、人々もだんだん変わっていくのかもしれないなぁ。

と、就任式を見ながら思ったのです。

なんか少しだけ希望が見えますね。

日本も・・・がんばろうか。笑

2009年1月13日火曜日

アメリカより心を込めて☆

時差ぼけが解消できません。誰か助けてw

まだ日本楽しかったーみたいな余韻に浸ってる私ですが、こっちもこっちでなんかやたら落ち着きます♪やっぱりなんだかんだひとり嫌いじゃないんです。一日部屋にこもって本読んだりしててはっぴー
また半年後日本に帰ったら反応が鈍いと怒られてしまう笑

日本でとった写真いっぱいあげておきまーす 










2009年1月9日金曜日

Lovers Again

日本に帰って1週間くらい、正直少しつらかった
それはきっとアメリカのスタンダードに苦しんで順応して、
やっとモノにしたと思ったら日本ではのけ者になっていたから

みんなの笑顔が羨ましかった

あったかい場所が羨ましかった

帰る場所がわからなくなった

でも、変わらぬ笑顔で迎えてくれる仲間の温かさに救われた。

会いたいと言ってくれる人たちに救われたの。

言葉に出さなくても
会いたいと思ってくれていた人の存在に救われたの。

嫌というほど会った人も、一度も会わなかった人もいます。
それは思いが変わらないからこそ、こうなったの。
毎日でも一緒にいたい人も、一度顔を見たら安心できる人も、一度も会わなくたってつながってる人も、
私には大事すぎるほどの存在。

あと半年はまだ勝負です。
だから気を緩めるわけにはいかない。

明日、また向こうに戻ります。

おっとりとした温かい日本の空気から
もう一度離れて鍛えてきます。

きっと6月戻るころには、もうひとまわり、タフになっているわ。

こんな素敵な一年を与えてくれた慶應とUCBerkeleyには
感謝してもしきれない。

みんなが温かいのはわかってる。
でももう一度、伝えておきたい。
私はみんなが大好きです。
だから、離れず見守っていてくれたら、私は嬉しいです。

帰ったときは、おかえりと抱きしめてね

じゃ、根性出して勝負してきます。

みんなありがとう。

2009年1月3日土曜日

いましめ

Hey guys, I'm going to Mita campus on Jan.8th!

昼ごはん中等部女バスで食べて、3限暇なので、学校いる人連絡ください。
てか、たぶん私から連絡いれますがw


なんだか、日本にいると心が若干弱ります。
それがどうも居心地悪く感じたりもします。

きっと甘やかされて育った環境だから
守ってもらえるような錯覚を起こすのでしょう。
でも実はその期待が一番自分を傷つけるだけで
アメリカで、根性出して神経張り詰めている方が楽です。案外。
弱さを見て、初めて強さの意味を知って、
アメリカ人のマインドをやっと自分の中にひとかけら見出せた気がします。

優しい日本に帰りたいと泣いていた頃よりも
少しはタフになったかしら。
少しは現実を見据えられるようになったと自負してもいいかな。

曖昧で不確実な庇護よりも、鮮明で確実な孤独の方が
本当はずっと優しい。

人を大切にしながら常にIndependentであることは、
両立し得べきではあるけれど、実際問題難しい話だ。

だから厳しい状況で戦う人は、人間性を批判されることが多いのでしょう。


私もそろそろ、のんびりしすぎかも。
あと一週間、うまくバランスをとらないと、です。笑